ニューカレドニア 水中ウエディングの旅

 今回世界で初めての水中ウエディングをしたということで、せっかくの想い出を覚えているうちに記しておこうと思い、PCに向かいました。記憶が定かでない部分や勘違い、記述の誤りなどもあると思いますがご了承くださいませ。

少しでも楽しく読んでいただければ幸いです。ばぶきち

 

8/19(月)10日目 帰国

 今日こそちゃんと飛んでくれるんだろうなぁ。。。という一抹の不安を抱えながら朝を迎える。日本とニューカレドニアの時差は2時間。本日の集合時間は10時45分・・・日本時間の8時45分ということになる。特に何もないだろう、と思って携帯電話を家に置いてきた私は会社の人の電話番号が誰一人としてわからない。おまけに昨日まで夏休みだったこともあって、朝のこの時間は会社の電話はまだアンサーホン設定されたままであろう。このままでは連絡のないまま9時の就業時間に行方不明者となってしまう。。。これが機材故障がもたらした私の唯一の不安要素だった。彼のほうは朝早く来る人が多い会社らしく、日本時間の8時にはきっちり連絡がついたようだった。

 私はぎりぎりまで待って、8時35分頃に同じ課の直通ダイヤルがある人の番号へかけてみる。。。。。。。。かかった!ブツッという音がして音声が不安定ではあったが、どうやら自分の携帯に電話を転送してくれていたらしい。よかった、助かったあ。明日には出社すると伝えて切る。ほんとうに短い時間だったのだが、彼は250円、私は350円の通話料。ニューカレドニアからの料金は高いと聞いていたが、確かにすごい。

 到着から考えると8日もお世話になったル・メリディアン・ヌメアに別れを告げる。さすがにこの頃には日本が恋しくなってしまった我々。長期のバカンスをすごすにはあまりに貧乏性な夫婦かもしれない(涙)いや、このときは本当に日本に帰れるのかどうかが不安だった、という要因が大きいと思われるのであるが・・・。車内ではエア・カランからの正式な遅延証明書が手渡された。もちろんフランス語だ。おそらくうちの社内に読める人はいまい、と思いつつ面白いのでもらっておく。初日に国際空港へ到着したのは夜だったこともあり、ヌメアから空港までの道程はこれまた目新しい景色を楽しむことが出来た。しかし、中心部を抜けてしばらくするとずっと山道を走っている状態で、流れる緑にだんだんと瞼がおりていったのだ。

 空港に到着するとすでにものすごい列ができている。そりゃそうだ、なんせ月曜日の夜中発の便もずれて我々と一緒の臨時便になったんだから。とはいえ時間はすでに12時前。出発予定は13時半。さて、本当に今からこの人数を処理することができるのだろうか?時間は確実に針を進めているが、我々の列は進んでは止まりの繰り返し。しかも大型バスがどんどんやってきて列の尻尾は伸びるばかり。どう考えても間に合うわけがない。そこからがもうタイヘンだった。すでに離陸しているはずのシドニー便がまだチェックイン中、我々がガイドさんに誘導されて並んだのがそのシドニー便、慌てたガイドさんから“その横の列に並びなおしてください”という指示が来るもそちらもちりとも動かない。

 すったもんだの末、ようやく別のカウンターの前まで辿り着くも「チケットの控えがないからダメ」と言われ大騒ぎ。ガイドさんは必死でチケットはそちらに預けた、と言ってるようだし、航空会社のほうでは「こちらにはない」の一点張り。時間はとうに13時半を過ぎて、その時点でも荷物すらチェックされていない乗客が大勢いる状態。どこからかようやくチケットを持ってきた航空会社の女性によって張り詰めた空気が緩んでいき、自分自身も思わず大きな息を吐いた。

 出国カウンターを通り抜け待合室に腰を下ろす。ホテルの免税店で買ったマグナムボトルを受け取るとずっしりとした重みが肩にきた。財布の中に残っているのは1万円以上分のパシフィックフラン。時間つぶしと、たまには妹たちに化粧品でも、と免税店をうろつく。マニキュア、口紅、オモチャの腕時計にカルティエのタバコetc.・・・私はタバコを吸わないのでよくわからないのだが、買った後に同じくタバコは吸わない彼から「カルティエのタバコって濃い〜んちゃうか?」と言われ、どきっ。うう、まずかったら捨ててくれ、義弟たちよ。

 待てども待てどもエア・カランの機体が見えてこない。どこかに待機してるのか?それともどっかから飛んでくるのだろうか?とみんなが窓の外を眺めては疲れきった表情を見せていた。ようやくジェット音が聞こえたと思ったら、カンタス航空だ。はあ。。。また違う、とがっかりしていたらどうやらこれに乗るらしい。行きのエア・カランとは違い一回り大きな飛行機だ。やはりこれだけの人数をカバーしようとしたらエア・カランのサイズでは賄え切れなかったのだろうか。後で聞いたところによると今回の遅延でこの飛行機に乗り込んだのは400人とのこと。前々日にオーストラリア経由で乗り継ぎやさらに宿泊をして帰った人も合わせるとさらに凄い人数だったんだ。

 シートベルトをしめてからがまた長かった。機内アナウンスで「出発に必要な書類のサインが抜けていたので今やり直している」というなんとも『ハア?』な内容が流れたり、燃料補給か何かに時間がかかっている、というアナウンスが続いて、最終的には16時半にようやくヌメアの地を飛び立つことが出来た。

 エア・カランより少し広めのシートに身を任せ、本当に、ようやく、帰れるんだな、と思うもまだ油断は禁物だ。とはいえあとは機長に頑張ってもらうしかないのだが。当然ではあるが、機内サービスでは行きと違った銘柄のビールが置いてあり、しっかり楽しんでしまった。途中、ものすごい勢いでガクン!と機体が揺れた。乗客の悲鳴がいっせいに聞こえる。「当機は気流の悪いところを通過しております。。。」といういたって冷静なアナウンスが即座に流れるが、今のはかなりのショックだった。(落ちないで。。。お願い)と祈らずにはおれないぐらいしばらくダメージを受けてしまったようだ。そうして約8時間のフライトを経て、関空に到着した。そんなタイミングで私はものすごい吐き気と眩暈に襲われてしまった。無事着陸し、人々がいっせいに前方に向かって歩く中、1人逆行してふらふらになりながらトイレへ。

 体調を崩したままよろよろと飛行機を降りると、今度は日本語版の遅延証明書が配布されていた。そして、今回の大幅な遅れに関するお詫び文と遅延のために生じる交通費や駐車場代。宿泊費の請求に関する案内と、主要駅までの臨時バスの運行状況が書かれてあった。なるほど、確かにこの時間から帰れる人ばかりではないもんなぁ。さっき横を通った人は宮崎とか言ってたし・・・。我々は早々に荷物をピックアップし、最終バスに乗り込んで大阪まで向かう。こんな時間に関空からの道を通ったことなんてなかったぞ。。。道路の脇に連なるライトがとてもきれいで、なかなかいいなぁ、なんて思いながら外を眺めていた。

 とっくに日付を越えた時刻に大阪からタクシーに乗り、行き先を告げる。「降りるときに領収書下さい」と言い残したままぐったりとシートに身を沈め、気づくとすでに家のすぐ近所を走っていた。慌てて細かい指示を出し、マンションの前に到着。彼はトランクのスーツケースを取り出し私はお金を払いながらいくつもに分かれた手荷物から溢れたモノが落ちないように、気をつけて降りる。エレベーターの狭さが哀しくも懐かしい。重すぎるスーツケースが廊下をきゅるきゅる音を立てて転がるので、少し浮かせながら最後の力を振り絞って運んだ。玄関のドアを開けると、もわっとした空気が外へ勢いよく流れ出てきて、それまで帰りたかった家なのにすでに暑さでうんざりしてしまう。

 携帯の着歴を見ると、何度も母からかかってきていた。メールを見るとやはり心配していたようだ。時間が遅かったので関空からもわざとかけなかったのだが、無事帰国したことを告げるため連絡を入れ、ようやくひと段落。会社に持っていくお土産を整理しつつ、「仕事のこともあるし、洗濯は明日にしようね。」「もう今日やで。」「はっ・・・」というような会話を交わしながら、私はタクシーの領収書をもらうのを忘れたことに気づき愕然としてしまった。最後の最後の、最後にこんなヘマをするなんて。。。という自分への腹ただしさと情けなさでいっぱいになる。「ああいう救済措置はもっと遠方に住んでる人のためにあるもんや。延泊もしたし、たっぷり楽しんだしええやんけ。」という彼の言葉にちょっと救われながら布団を敷いた。こうして長かった10日間の旅行の幕は閉じたのだ。

  

エピローグ

 旅行から帰ってきて約一ヶ月がたとうとしている。こちらも長い道のりを経てようやく書き終えることができそうだ。振り返ってみてここまで時間がたってしまったとは思えないほど、ニューカレドニアでの出来事が克明に私の中に残っていることをひしひしと感じる。去年の今頃はまだニューカレドニアは全く私の中になかった、といっていい存在だったのになぁと思うと、海島でのあの出会いが何よりも尊く貴重なものだったと心から感謝している。毎日の生活に忙殺されながら、ふと写真を見るとあっという間に青にまみれる。これだけ覚えているのにそれがなぜかすごく遠い昔の出来事のような気もしてしまうのが不思議。それだけにきっと、時をいくつ重ねても私の心の中に確実に残る旅となったような、そんな気がする。

今、知り合いにお願いして例の新聞を訳してもらっているところだ。もしかしてとんでもないことが書かれていたらどうしよう、なんていたずらに想像しながらビデオの到着を首を永くして待つ今日この頃の私です。